咀嚼と嚥下

咀嚼したり嚥下したりしたものについて書きます。それらをできなかったものについても書きます。

すずめの戸締まり 鑑賞後、内心に想起された物事/それからのこと

 すずめの戸締まりを初日深夜の最速で観た私は、大いに心を乱された。それは物語の内容に対してという以上に、物語で触れようとする実在の災害「東日本大震災」への手つきに対するものだった。

 作品に対しての感想を書こうとすると、自分と震災との距離に触れざるをえないことに戸惑った。だが、その点を避けることは不可能だと感じたので、触れることにする。また、感想という以上に震災当時の気持ちやごく個人的な出来事をそのまま取り出すことになったので、これを作品の感想とすべきかどうかは今でも迷いがある。が、今年が終わる今日、鑑賞後の心の動きを整理しておきたいと思ったので、公開することにした。

 なお、下記のセクションは公開から1週間から10日の頃に書いたもの、ほぼそのままのものだ。現時点ではこうは書かないであろうという内容も含まれるが、その時のそのままの内容を記す。

 

■2011年3月11日と、それからの話

 私は被災した県の出身であり、実家は内陸にあった。幸いにも直接の親戚や知人には大きな被害を受けた人間はいなかった。そのため、私は「被災者」ではない。

 2011年3月11日は、4月から住む先を探して東京に来ていた。地震があって数十分後、駅頭の大ディスプレイを見ると、知った地名――岩手県陸前高田市の海岸を舐める黒い波が映っていた。

 実家は2-3日ほどか、連絡がとれなかった。津波が来るような場所でなかったから大丈夫であろうと思ってはいても、あまりよく眠れなかった。大義名分を得て、せいせいした気持ちで実家を出てきたはずだった。3日後にぽこっとメールが来て、断水と停電、信号機が機能していないこと、スーパーでもガソリンスタンドでも何も買えない以外は元気であるとのことだった。ガソリンスタンドが駄目ということは、暖房用の灯油も買えないということだ。雪が降るような気温の、3月の東北であることを思った。

 

 私は2泊程度の荷物で出てきたものの幸い関東に身を寄せられる親戚がおり、1ヶ月あまり世話になった。数百キロ離れた安全圏で、輪番停電の行われる東京で、あたたかい毛布を被りながらテレビ越しに東北の映像を見ていた。3月はそもそも交通がほぼ回復しなかったと記憶しているが、一般乗客の利用可能なバスの往来がかろうじて復活してからも5月の連休あたりまで帰らなかった。帰ろうと思えば可能だったのだと思う。でも、こんな幸いに恵まれた自分が、ただ家族に会うために限られたバスの座席を埋めるのかと思うと、チケットの予約はせずじまいだった。

 

 出身県を名乗ると、2011年から2−3年はほぼ必ず「地震、大丈夫だった?」と聞かれた。それは、善意や配慮であったと思う。私はその都度、そういう理由で大丈夫である旨を説明してきたが、これで私が自分の親族や家をなくした被災当事者であったらこの眼の前の善意の人々は一体どうするのかな、と頭の片隅で思っていた。自分がそうでなくとも、友人の家族、友人の友人、家族の知人、そういった間接的な知り合いには、当然いるわけだ。高校の同級生には沿岸部から出てきた友人もいた。本人は大丈夫でも、家族はどうか。家は、親戚は。自分は「大丈夫」だったが、ただ「大丈夫」であることに後ろめたさや気まずさのような思いを覚えてきた。この感覚は、多かれ少なかれ首都圏で暮らしている人びとと共有できるものではないかと思う。違うものがあるとしたら、私の生まれ育った故郷は故郷として在り続けていたということだ。故郷を「こんな田舎」と言いながら都市生活者にはなりきれず、被災者では決してなく、でも完全な部外者だと思うには近すぎると感じる距離感だった。とはいえ、真に自分の生活が破壊された被災者からみたら笑ってしまうほど部外者で、当事者ヅラをしてほしくない人間のひとりなのだと思う。

 

 この11年、正直に言うと震災を彷彿とさせるものはあまり目に入れないようにしていた。同郷の友人との会話でも、特に上京組の友人が多かった事情もあり、敢えて避ける話題となっていった。あとから知り合った郷里の近い人間から「津波で実家が破壊されちゃってね」なんて軽い話題かのようにを振られることもあったが、のうのうと生きてきた気持ちが拭えず、こちらから言葉も手も、差し出すようなことはできなかった。敢えて軽いことのように、軽くなるようにと何度も説明してきたのであろうがわかったから、それ以上触れられなかった。

 

 それから11年の間に、私は秒速5センチメートルに出会い、新海誠作品をさかのぼり、また追いかけてきた。監督の作風である視野狭窄的な独白と、リンクする美しい描写に心を掴まれた。気持ち悪いと言われがちなところも自己の内にある襞を微細に観察している人間そのものだと思ったし(故に、他者を他者として理解しようとする描写が希薄だという指摘はそのとおりだと思うが……)、驚くほどエゴい……自己愛的な描写も自分のうまくゆかなさを慰撫してくれるように思え、正しくなくとも嫌いになれないと感じていた。

 君の名は。では監督がマスに打って出るために捨象したものに思いを馳せ、「天気の子」では監督のエゴが健在であることに全力で拍手をした。

 

 この映画を見て、自分にとって東日本大震災が全く過去のものになっていないことを思い知った。建物の上に乗った船を、縦に積まれた車を見ると変な汗が出た。避け続けてきたツケかと思った。でも、どうしてあなたが勝手に記憶を暴き立てるのか?という憤りに近い思いも同時に感じた。震災そのものに手を触れたことはついにという思いもあったが、すずめがあっさり立ち直って大丈夫だよというメッセージを発することに置いてけぼり感を覚えた。監督は「売れる」作家になっていく中で自分のうちにある心の機微を描き出すよりも社会的に立派なことを言うべきであるという責任が芽生えたのかと感じられた。その割に、被災地で暮らす人の顔が思い浮かぶ距離で生きている立場では、その「大丈夫だよ」は、率直に言って、無責任で唐突に思えた。

 自分自身は故郷に戻らないであろうと半ば思っていても、自分がかつて住んでいたような場所を「終わっていく場所」と指して弔いを行おうとするのも腹が立った。勝手に終わらせないでほしいと思った。

 物語には正直あまりのめりこめなかった。新海誠の好きだったところに、美しく描かれた視野狭窄の独善に、復讐されていると思った。無論これは私の被害意識、思い込みなのであるが。

 

 この思いがあまり共有されるものでないことは翌日以降のタイムラインを見ていてよくわかった。よくぞ、タブーになりつつあった震災を取り上げてくれた。最高傑作の前評判に応える大作。キャリアの集大成。極上のエンターテイメント。

 

 あの災害は、東北は本当に忘れられていたんだなと思った。忘れていたから、これを「丁寧で、真摯」と言えるのだと思って悲しくなった。「今作ったことの意味」という言葉が、あの新海監督が東北なんていう忘れられゆく地に触れてくれたのだから感謝しろよ、そういう穿った眼鏡で見えてしまうくらいには、悲しくなった。

 どうすればよかったのか、どうしてくれたら納得できていたのか、今もまだわからない。でも、近い人間ほど悲しみを背負うのってなんなんだ?この悲しみは個人的なものだと思うが、自分ひとりのものでもないと感じている。被災者でも救われている人がいるのはよいことで、でもそうではない人がいることが忘れられて良いとも思わない。この気持ちは、書き残さないと消えていくたぐいのものだとも思う。だからいまは、自分のためだけにここに書き残す。

#20221121

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■2022年12月31日 すずめ以後、それからの話

 ここまでを、鑑賞から10日後の時点で書き記していた。

 その後、開いた穴がどうしたら埋まるのか、「すずめ」に何があったらこんな気持ちにならなくてよかったのかということが頭から離れず、今まで避けてきた震災の記録、震災を取り扱った複数の作品に触れた。

 その意味では新海誠は確かに一石を投じたと言える。今まで自分が、そして多くの人が思い出したくない箱に入れていたものを、日の下に晒すことになった。そうして自分はまんまと震災の記録を手繰っている。その点で、新海誠の試みは一部で成功している。

 

 そして東日本大震災を取り扱った複数の記録や作品の主張から私が読み取った共通項としては、「忘れられることへの抵抗」「生き残ったものの責務」「死者への弔い」であった。

 もちろん、新海監督も「東日本大震災が忘れられてはならない」という思いで本作を制作したのだとは感じている。当事者以外が触れたっていい。だが、そうなのだとしたらなおのこと、死者を弔うこと、その土地で生き続ける人がいるということに対して目配せがあったら……と思わずにはいられなかった。

 

最後に、自分が触れてよかったと感じた東日本大震災に関連する書籍・映像作品を記す。

 

○フォト・ルポルタージュ 福島 人なき「復興」の10年

 ノンフィクション。10年が経った今年の刊行。

>故郷を奪われた地元住民らを置き去りにしたまま強行される「復興」は誰のためのものなのか。住民らの苦悩と抵抗を描き出す。

 この短い紹介文が書かれている内容を端的に表している。

 当時の問題が解決されないまま年月が経過し、外部からは「もういいよね」「もう大丈夫だよね」と言われる。その「大丈夫だよね」に抵抗する本。

https://www.iwanami.co.jp/book/b599754.html

 

○天間荘の三姉妹

 原作漫画・それをもとに2022年に公開された映画がある。原作は『スカイハイ』の作者・髙橋ツトムによる漫画で、同作のスピンオフ作品としてスカイハイの世界観という土台を残しつつも現実の震災を取り扱っている。

 天と地の狭間に半死半生の人間が行き着く街があり、その街の旅館に流れ着いた人間は半生を振り返り行き先を決める。ではその旅館を営んでいるこの人々は……?という話。

 

 正直に言うと完成度や好みという観点では申したいことは様々にあるが、映像化にあたり震災で亡くなってしまった人と今もその人を偲びながら生きている人の対比を物語の軸に組み込んだのは良い改変だと思った。突然に不条理に失われてしまったものに対して、せめてこうあったらという祈りが描かれており、同時に今もあの日を経て生き続ける人間へ寄り添おうとする制作側の在り方は、鑑賞者としてもその手を取りたいと思えるものだった。

 個人的に、すずめの戸締まり鑑賞の翌週に滑り込みでこの映画を見ることができ、そのタイミングで出会えたことに救われた気持ちになった。

https://tenmasou.com/

 

○氷柱の声

 岩手県内陸で震災を経験した作者による小説。

 被災を免れた立場で、震災について語れずに10年を過ごした作者が同年代の見た震災について取材したもの。

 「免れてしまった」立場の人間にどういう10年があったか、語られた文章は少ない。それが時間に埋没する前に書き残してくれたことに価値があると感じられる一作。 

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000353698