咀嚼と嚥下

咀嚼したり嚥下したりしたものについて書きます。それらをできなかったものについても書きます。

2026年3月11日の日記

会社で仕事をしなければいけなかったので、ひとり用の会議室を予約して黙祷した。

こんな日にも飲み会が入るようになって、「あのときなにしてた?」の対象はコロナ禍という新しい災害の話に差し替わった。

毎年、あの日雪の中走っていた大阪市交通局のバスの写真を見る。あるはずのない景色を見せたひとがいる。

毎年、2011年3月12日に開業した九州新幹線の、セレモニーになるはずだった、幹線脇でひとびとが全力で手を振るCMを見る。公式チャンネルの動画が消えていたので非公式で見る。土地の人々が何十年も待ち焦がれた、こんなに祝福に溢れた企画を、遠く1,000kmは離れた北の地で発生した災害の報を受けて、差し止めたひとがいる。

あの日のことは何度でも語りなおされる。それでもなお、語らなければいられない人が語りつくす日は来ないだろう。

私たちの認知資源が資本に奪われ続けるなか、ひとりの人間が怒ったり悲しんだりすることのできることがらは有限だ。

あれから水害だって能登だってまた八戸だってほかにももっともっと被災したし、感染症でたくさんの人が亡くなったし、いま世界では、もう数年前から戦争が始まっている。信じられるか?戦争が始まっている。

私はあの日、被災しなかった。故郷を離れた安全なところでひとが死ぬ映像を見て立ち尽くしていた。だからずっと、申し訳なかった。話すに値しないから話さなかった。

それでも、私が故郷や、私の離れた故郷に生きることを選んだ人々を、わたしのかわりにその土地を生かしてくれている人々のいる、その土地のことを思うとき、私は遠くから祈っても許されるかもしれないと思った。

ほかの人がほかの人の大切なことのために祈るなら、私は私の知っていることのために、祈ってもいいだろう。

今晩飲むワインの見つけ方 〜あるいは野良猫の生息圏について〜

犬には好かれるが猫には嫌われがちな人生を送ってきた。

何の話かというと、ワインの話を始めます。

 

ワインはおいしい。

しかし、ワインという酒は基本的にお高く止まって見える。

ワインに興味がわいた方は、一度ならずコレジャナイ経験をしているのではないだろうか?

・選び方がなにもわからない。なんだあのコチャコチャしたラベルは。オシャレなこと以外何も書いてないのもあるし。
・一度店で美味しいワインを飲ませてもらったが、あれ以来家で飲む全てのワインが色あせて見える。
・目を瞑りながらエイヤで買ってみたワインが好みじゃない。
・ボトルも高いくせにグラスワインすら高い。お呼びでないというのか。
等々。

私もそうやって返り討ちにされてきた一人である。
こっちは美味しいワインが飲みたくて必死なのに、自分なりに勉強しても全くワインを選べるようにならなかった。買っては外す。少し価格帯を上げても外す。流石、野良猫には屈んで目を合わせて鰹節を置いてすらも逃げられてきただけある。
結果として、気長に付き合っていられなくなって半ギレでワインスクールに課金、ワインエキスパートの資格を取得した。
※ワインエキスパート……飲食店や酒販店で勤務実績がない人でも取得できるソムリエみたいな資格。

その結果、飲みたいワインにたどり着くために踏むべきステップを説明できるようになってきたこと、また先日に店で一緒にうまいワインを飲んだ知人がまさに「昨日までおいしく飲めていた家飲みワインがおいしくなくなった」と泣いていたことを受けて、日々ワインをおいしく飲むために考えることをまとめてみたい。

そのために、以下の3ステップに分けて物事を検討していく。

 

では早速始めていきたい。

①今晩、あなたはなぜワインを飲みたいのか?

あなたが美味しいワインを飲みたい!と思ったとき、それがなぜなのかについて考えてみたことはあるだろうか。
一段掘り下げたとき、こんな理由が見つかるのではないかと思う。
・今日の晩御飯に合わせたい。
・映画でも見つつ、チョコレートやチーズと合わせたい。
・とにかく集中してワインだけを飲みたい。
それによって、欲望するワインの味は違ってくるはずだ。

②そのワインってどんな味ですか?

あなたの欲望するワインの味・香りが想像できたら、それをワインの言語=テイスティングノートに置き換える。
果実味がつよいのか?果実はフレッシュか熟れているか、ジャムに近いくらい濃縮された甘みか、ドライフルーツのようか?
木樽・油脂の味はあるか?チョコレートやチーズ、カラメルと合うものを探しているなら、これもあるといい。動物性の油……バターや肉と合わせるときも拾っておく。
本当は花の香り(白い?黄色い?南国?)や果実の種類(柑橘?ベリー?桃?)も想像できると、後段でワインを特定しやすくなる。

③その味のするワインってどこに生えてるんですか?

これは本当は①よりも最初にインプットしておけると一番いい。
実は、ワインというのは造っている場所によって全然違う味になる。気候や土壌の条件によって、育つ葡萄の品種が違うからである。さらに、同じ品種をフランスで育てたときとオーストラリアで育てたときにも、違う味になる。九州人と東北人のキャラクターが違うような感じだ。
だから、自分の飲みたいワインを探すとき、②の特徴に合うワインはどこで造られているか?その味はなんという品種名の特徴か?を知っているかが重要になってくる。
でも安心してほしい。そんな3分クッキングみたいな真似はできないのが普通なので、②まで特定できていれば、②で思いつく限りのワインを表すワードをメモして酒屋に突撃するといい。行く先の酒屋は、とにかくいろいろな産地のワインがあって、なんだか詳しそうかつ怖くなさそうな店員のいる店ならなんでもいい。詳しそう、の基準が分からなければ総合酒店よりもワインに特化した店が確実だ。そこでメモを見せながらこういうワインが欲しい、いくらまで出せる、と言ったら大抵いい感じに選んでくれる。相場感が分からない場合、産地や品種によって味の特徴がはっきり出てくるワインはだいたい3,000円前後から、というのを覚えておくといい。もちろん、それ以下でもおいしいワインはたくさんある。ただ、せっかくあなたの頭に思い描いた最強のワインをゲットするなら、一度試してみるのをおすすめする。

おめでとう!あなたは晩酌用のワインを手に入れた。早速開けてみて、思い描いた味がするか、早速味見してみよう。
白ワインなら冷蔵庫で冷やして、赤ワインなら野菜室にしばらく入れて出してくるとよい。飲み頃は(例外はあるものの)白なら6-10度、赤なら12-18度くらいと言われている。
バッチリ思った味がした?それはサイコーの体験だ。また、おもてたんと違う人も焦る時間ではない。少し温度が上がるとまた違った味がする。その変化も楽しんでみてほしい。また、欲しかった要素の何が足りなくてなにが過剰だったかも考えてみるとよい。
いずれにせよ、ぜひそのワインのラベルを写真に収め、産地と品種を分かる限り覚えておこう。あなたの頭のなかには、ひとつインデックスができた。

これを繰り返すと、頭のなかにどんどんインデックスが増えていく。すると、「こういうのがのみたいときはこのあたりを探せばいいんだよな」の回路が張り巡らされていく。
一方で、そんな悠長に一本ずつ買ってられない、というのもわかる。肝臓は有限だもんな。
オーケー、③を強制的にアンロックする方法がある。
次はこれについて説明していく。


次回、「テイスティング」(そのうち書く)。

 

 

余談:
一連の記事を展開するにあたって、筆者は下記のスタンスをとっている。
1)ワインは高くないと美味しくないのか?
2)高いワインを飲んだらもうそれ以下のワインは美味しく飲めないのか?
結論として、私はどちらも否だと思っている。
たしかに高いワインは美味しい。価値観が変えられてしまうヤバい飲み物だと思う。だが、変わってしまった価値観のもと、日々の飲酒に幸せを持ち帰る方法は必ずある。
価値観が変わるということは、読み取ることのできるスペクトルの幅が広がることだ。また、広がった分、読み取り可能な領域を今までよりも細かく分解して理解することが可能になることでもある。

だから、祝いの日には恐れず高いワインを飲み、普段は広がったスペクトルのもとで、それなりにいい日だったと思えるくらいの美味しいワインを発掘していこう。
テイスティングも、きっとそのために役に立つ。

 

 

2025年よかったやつら

2025年、意外といいことあったなという気がしてきたのでまとめておこうと思った。

●札幌ライラック祭り

5月、冷涼な風とやわらかな陽光のなかで北海道の地ワイン飲むのサイコ~だった。

牡蠣も喜んでいた。

 

ガンダム(1st+GQuuuuuuX)

令和になって機動戦士ガンダムのマラソンを完走することある???

ずっとエンタメ界で擦られ続ける理由がわかったし想像を超えて名作だった。

その推進力をくれたGQuuuuuuXと共に今年は本当に楽しませてもらった。2作合わせてサイコ~〜のエンタメ大賞だった。

 

豊田市美術館

建築そのものの良さと玉山拓郎氏の展示の良さが噛み合っていてサイコーにクールだった。

たっぷりと採光される、そこにある自然光を使って静謐さを作っているのがよかった。

 


●新潟村上 新多久

土地の素材と土地の日本酒のペアリングがサイコ~だった。お茶も良かった。

 

余市ラ・フェト

君はヤギと酒を飲んだことがあるか。

生産者がその地で造った酒をその場で飲むのサイコ~だった。

 

●万博

人の善性や明るい未来を作りたいと思う気持ちが空気として可視化されているのを初めて見た。とても良かった。

開催までのプロセスでうんざりする話をたくさん聞いたので、初訪問が遅くなってしまった。

行ってみたら体験がサイコ~すぎたので平日に休みぶち込んで終電→夜行帰りの駆け込みおかわり万博した。

 

鳳凰三山

眺望がサイコ~〜〜〜〜〜

かなりチャレンジング行程だったので死ぬかと思った。改善点も含めて学びの多い山行だった。

 

今年は、向こう数年かけてやってみたいことがいくつか見つかってよい年だった。

仕事を含め様々な環境が変わって、同人的にも今年出した2冊は自分のやったことのないことを試みた、チャレンジングな年であった。

2026年も新しいことをしていくぞ!

2025年3月11日の日記

 去年と同じような一日を過ごしていた。同じように予定をブロックして、同じようにPCの向こう側の窓を1分間、焦点をあわせずに見ていた。今日のTwitterだったものはとても不安定で、きっと流れてくるだろうと思っていた14年前の記憶やそれを今振り返るものにそれほど触れることにならなかった。

 14年前の今日から数えて10年目くらいまで、私は本当に鮮やかにあの日を思わせるものを避けていた。それは、免れてしまった後ろめたさからだと思っていた。でも、それだけではないかもしれないということを、少しずつ思い出し始めている。上京した先で地震が起こって、実家に帰れなくて親戚の家に身を寄せて、インターネットでもオフラインでも街でも大学でも、首都圏の人の言葉をたくさん聞いた。この災害はすべてを変えてしまっただとか、日本はこれから未曾有の時代に突入するだとか、東北へのもっと、同じ人が生きていると思っていないような、心無い言葉とか。

 私はそれを、そうだと思いたくなかったのだと思う。本当に天災が起こって変わり果てた場所があること、それが地元からそう遠くない場所であること、人災によって見捨てられようとしている場所があること。そんなひどいことが起こっていることを自分に関係があると思ってしまったら、これから自分の生活を作っていこうと思って上京してきた、所在のない自分はどうして生きていったらいいだろう?

 そして、そういう自分を棚に上げて、それとこれとは別であるとして、安全なところから、この災害はすべてを変えてしまったと言う人たちに腹を立てていた。あなたがたは本当に、変わってしまった世界は自分と地続きであると本当に思っているのか?あなたがたは首都から300キロ、500キロ、北にどんな景色があるのか知っていましたか?ずっと、あらゆるものを東北新幹線沿いに吸い上げられてきた場所が、地震の前にどんなふうにな景色だったのか、どんなふうに田んぼがあって工場があって山を切り開いてまた田んぼがあって、どんなふうになにもなかったのか、なにが変わってなにが失われたのか、知っているのか?そして、また棄てるんですか?

 外側にいる人々への苛立ちは、自分のことで一杯でなにかしようとも思わなかった私の目をそらすことと、とてもよく噛み合っていた。

 14年も経って新しく思い出すことなんてもうないと思っていた。14年前は自由になるお金もぜんぜん無かったし、自分がなにを考えているのか、自分がなにを考えることができるのかもよくわからなかった。内面化された規範と世間的なものへの反発と、なんの行動も起こすことを知らない身体ばかりがあった。いまこの瞬間の自分を見ていることすら嫌で、どこか遠くに行きたがった。

 14年が経って、別の場所でも災害が起きて、そう思っていたら大船渡で山火事が起こった。津波のあとに建てた家々のことを考えると、本当に悲しい気持ちになる。でもいま、働いている私のお財布には14年前にはなかった自分のお金が少しだけある。大船渡市に、少しだけ寄付をした。それができるようになっていて、14年経ったんだなと思った。

2024年3月11日の日記

いつも通り、在宅で仕事をしていた。
昼休みも満足に取れないくらいに仕事は積み上がっていたが、14時45分から15時のあいだは、何のミーティングも入らないようにカレンダーをブロックしていた。その時間にミーティング相手となる同僚の価値観を知りたくないと思ったからだ。それにうっかりミーティングが入ったときに、同僚に14時46分に議論を中断したいと伝えることが自分にできるのか、わざわざ確かめたくなかった。
 
PCに背を向け、焦点を合わせずに虚空を見つめていたら1分はそれなりにすぐ過ぎた。遠くの街にいてすら、あんなに長く揺れていた気がしたのだけど。
私が13年前の今日、地元にいなかった部外者だとしても、この日を「なんでもないです」という顔で過ごさなくてもよいのだと思うようになったのは10年以上経ったここ数年のことである(そもそも地元は内陸なので、仮にその日そこに居たとて「私は当事者とは言えない」という気持ちに苛まれていただろう。多分)。そのときから、忘れようと思っていたことも忘れていた「安全圏で感じていたこんな些末な不安」も少しずつ取り出せるようになった。
 
先日、大きな本屋に寄ったら、『東北モノローグ』という本が平積みになっていた。まだ新しい本が出て、平積みになる、ということに安堵のような気持ちを覚えながら、それとリバーシブルの罪滅ぼしに似た気持ちで一冊購入した。今は枕元に置いてある。
免れてしまった居心地の悪さと整合を取るために、最初から覚えておくことすら放棄しようとしていた。でもそれはやめた。
13年も経つ間には疫病も流行ったし、別の場所でも酷い災害は起こった。そうなった今になってやっと、あのとき同じ時間軸の上にいて、ちょっとだけ所縁のある場所に思いがあるということを理由に「覚えておく」人間でいようとしてもいい、するべきだと思うようになった。
 
13年経っても、湿ったドカ雪も降らず、桜が咲くような3月に慣れる日はまだ来ていない。だからそうしようと思った。

すずめの戸締まり 鑑賞後、内心に想起された物事/それからのこと

 すずめの戸締まりを初日深夜の最速で観た私は、大いに心を乱された。それは物語の内容に対してという以上に、物語で触れようとする実在の災害「東日本大震災」への手つきに対するものだった。

 作品に対しての感想を書こうとすると、自分と震災との距離に触れざるをえないことに戸惑った。だが、その点を避けることは不可能だと感じたので、触れることにする。また、感想という以上に震災当時の気持ちやごく個人的な出来事をそのまま取り出すことになったので、これを作品の感想とすべきかどうかは今でも迷いがある。が、今年が終わる今日、鑑賞後の心の動きを整理しておきたいと思ったので、公開することにした。

 なお、下記のセクションは公開から1週間から10日の頃に書いたもの、ほぼそのままのものだ。現時点ではこうは書かないであろうという内容も含まれるが、その時のそのままの内容を記す。

 

■2011年3月11日と、それからの話

 私は被災した県の出身であり、実家は内陸にあった。幸いにも直接の親戚や知人には大きな被害を受けた人間はいなかった。そのため、私は「被災者」ではない。

 2011年3月11日は、4月から住む先を探して東京に来ていた。地震があって数十分後、駅頭の大ディスプレイを見ると、知った地名――岩手県陸前高田市の海岸を舐める黒い波が映っていた。

 実家は2-3日ほどか、連絡がとれなかった。津波が来るような場所でなかったから大丈夫であろうと思ってはいても、あまりよく眠れなかった。大義名分を得て、せいせいした気持ちで実家を出てきたはずだった。3日後にぽこっとメールが来て、断水と停電、信号機が機能していないこと、スーパーでもガソリンスタンドでも何も買えない以外は元気であるとのことだった。ガソリンスタンドが駄目ということは、暖房用の灯油も買えないということだ。雪が降るような気温の、3月の東北であることを思った。

 

 私は2泊程度の荷物で出てきたものの幸い関東に身を寄せられる親戚がおり、1ヶ月あまり世話になった。数百キロ離れた安全圏で、輪番停電の行われる東京で、あたたかい毛布を被りながらテレビ越しに東北の映像を見ていた。3月はそもそも交通がほぼ回復しなかったと記憶しているが、一般乗客の利用可能なバスの往来がかろうじて復活してからも5月の連休あたりまで帰らなかった。帰ろうと思えば可能だったのだと思う。でも、こんな幸いに恵まれた自分が、ただ家族に会うために限られたバスの座席を埋めるのかと思うと、チケットの予約はせずじまいだった。

 

 出身県を名乗ると、2011年から2−3年はほぼ必ず「地震、大丈夫だった?」と聞かれた。それは、善意や配慮であったと思う。私はその都度、そういう理由で大丈夫である旨を説明してきたが、これで私が自分の親族や家をなくした被災当事者であったらこの眼の前の善意の人々は一体どうするのかな、と頭の片隅で思っていた。自分がそうでなくとも、友人の家族、友人の友人、家族の知人、そういった間接的な知り合いには、当然いるわけだ。高校の同級生には沿岸部から出てきた友人もいた。本人は大丈夫でも、家族はどうか。家は、親戚は。自分は「大丈夫」だったが、ただ「大丈夫」であることに後ろめたさや気まずさのような思いを覚えてきた。この感覚は、多かれ少なかれ首都圏で暮らしている人びとと共有できるものではないかと思う。違うものがあるとしたら、私の生まれ育った故郷は故郷として在り続けていたということだ。故郷を「こんな田舎」と言いながら都市生活者にはなりきれず、被災者では決してなく、でも完全な部外者だと思うには近すぎると感じる距離感だった。とはいえ、真に自分の生活が破壊された被災者からみたら笑ってしまうほど部外者で、当事者ヅラをしてほしくない人間のひとりなのだと思う。

 

 この11年、正直に言うと震災を彷彿とさせるものはあまり目に入れないようにしていた。同郷の友人との会話でも、特に上京組の友人が多かった事情もあり、敢えて避ける話題となっていった。あとから知り合った郷里の近い人間から「津波で実家が破壊されちゃってね」なんて軽い話題かのようにを振られることもあったが、のうのうと生きてきた気持ちが拭えず、こちらから言葉も手も、差し出すようなことはできなかった。敢えて軽いことのように、軽くなるようにと何度も説明してきたのであろうがわかったから、それ以上触れられなかった。

 

 それから11年の間に、私は秒速5センチメートルに出会い、新海誠作品をさかのぼり、また追いかけてきた。監督の作風である視野狭窄的な独白と、リンクする美しい描写に心を掴まれた。気持ち悪いと言われがちなところも自己の内にある襞を微細に観察している人間そのものだと思ったし(故に、他者を他者として理解しようとする描写が希薄だという指摘はそのとおりだと思うが……)、驚くほどエゴい……自己愛的な描写も自分のうまくゆかなさを慰撫してくれるように思え、正しくなくとも嫌いになれないと感じていた。

 君の名は。では監督がマスに打って出るために捨象したものに思いを馳せ、「天気の子」では監督のエゴが健在であることに全力で拍手をした。

 

 この映画を見て、自分にとって東日本大震災が全く過去のものになっていないことを思い知った。建物の上に乗った船を、縦に積まれた車を見ると変な汗が出た。避け続けてきたツケかと思った。でも、どうしてあなたが勝手に記憶を暴き立てるのか?という憤りに近い思いも同時に感じた。震災そのものに手を触れたことはついにという思いもあったが、すずめがあっさり立ち直って大丈夫だよというメッセージを発することに置いてけぼり感を覚えた。監督は「売れる」作家になっていく中で自分のうちにある心の機微を描き出すよりも社会的に立派なことを言うべきであるという責任が芽生えたのかと感じられた。その割に、被災地で暮らす人の顔が思い浮かぶ距離で生きている立場では、その「大丈夫だよ」は、率直に言って、無責任で唐突に思えた。

 自分自身は故郷に戻らないであろうと半ば思っていても、自分がかつて住んでいたような場所を「終わっていく場所」と指して弔いを行おうとするのも腹が立った。勝手に終わらせないでほしいと思った。

 物語には正直あまりのめりこめなかった。新海誠の好きだったところに、美しく描かれた視野狭窄の独善に、復讐されていると思った。無論これは私の被害意識、思い込みなのであるが。

 

 この思いがあまり共有されるものでないことは翌日以降のタイムラインを見ていてよくわかった。よくぞ、タブーになりつつあった震災を取り上げてくれた。最高傑作の前評判に応える大作。キャリアの集大成。極上のエンターテイメント。

 

 あの災害は、東北は本当に忘れられていたんだなと思った。忘れていたから、これを「丁寧で、真摯」と言えるのだと思って悲しくなった。「今作ったことの意味」という言葉が、あの新海監督が東北なんていう忘れられゆく地に触れてくれたのだから感謝しろよ、そういう穿った眼鏡で見えてしまうくらいには、悲しくなった。

 どうすればよかったのか、どうしてくれたら納得できていたのか、今もまだわからない。でも、近い人間ほど悲しみを背負うのってなんなんだ?この悲しみは個人的なものだと思うが、自分ひとりのものでもないと感じている。被災者でも救われている人がいるのはよいことで、でもそうではない人がいることが忘れられて良いとも思わない。この気持ちは、書き残さないと消えていくたぐいのものだとも思う。だからいまは、自分のためだけにここに書き残す。

#20221121

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■2022年12月31日 すずめ以後、それからの話

 ここまでを、鑑賞から10日後の時点で書き記していた。

 その後、開いた穴がどうしたら埋まるのか、「すずめ」に何があったらこんな気持ちにならなくてよかったのかということが頭から離れず、今まで避けてきた震災の記録、震災を取り扱った複数の作品に触れた。

 その意味では新海誠は確かに一石を投じたと言える。今まで自分が、そして多くの人が思い出したくない箱に入れていたものを、日の下に晒すことになった。そうして自分はまんまと震災の記録を手繰っている。その点で、新海誠の試みは一部で成功している。

 

 そして東日本大震災を取り扱った複数の記録や作品の主張から私が読み取った共通項としては、「忘れられることへの抵抗」「生き残ったものの責務」「死者への弔い」であった。

 もちろん、新海監督も「東日本大震災が忘れられてはならない」という思いで本作を制作したのだとは感じている。当事者以外が触れたっていい。だが、そうなのだとしたらなおのこと、死者を弔うこと、その土地で生き続ける人がいるということに対して目配せがあったら……と思わずにはいられなかった。

 

最後に、自分が触れてよかったと感じた東日本大震災に関連する書籍・映像作品を記す。

 

○フォト・ルポルタージュ 福島 人なき「復興」の10年

 ノンフィクション。10年が経った今年の刊行。

>故郷を奪われた地元住民らを置き去りにしたまま強行される「復興」は誰のためのものなのか。住民らの苦悩と抵抗を描き出す。

 この短い紹介文が書かれている内容を端的に表している。

 当時の問題が解決されないまま年月が経過し、外部からは「もういいよね」「もう大丈夫だよね」と言われる。その「大丈夫だよね」に抵抗する本。

https://www.iwanami.co.jp/book/b599754.html

 

○天間荘の三姉妹

 原作漫画・それをもとに2022年に公開された映画がある。原作は『スカイハイ』の作者・髙橋ツトムによる漫画で、同作のスピンオフ作品としてスカイハイの世界観という土台を残しつつも現実の震災を取り扱っている。

 天と地の狭間に半死半生の人間が行き着く街があり、その街の旅館に流れ着いた人間は半生を振り返り行き先を決める。ではその旅館を営んでいるこの人々は……?という話。

 

 正直に言うと完成度や好みという観点では申したいことは様々にあるが、映像化にあたり震災で亡くなってしまった人と今もその人を偲びながら生きている人の対比を物語の軸に組み込んだのは良い改変だと思った。突然に不条理に失われてしまったものに対して、せめてこうあったらという祈りが描かれており、同時に今もあの日を経て生き続ける人間へ寄り添おうとする制作側の在り方は、鑑賞者としてもその手を取りたいと思えるものだった。

 個人的に、すずめの戸締まり鑑賞の翌週に滑り込みでこの映画を見ることができ、そのタイミングで出会えたことに救われた気持ちになった。

https://tenmasou.com/

 

○氷柱の声

 岩手県内陸で震災を経験した作者による小説。

 被災を免れた立場で、震災について語れずに10年を過ごした作者が同年代の見た震災について取材したもの。

 「免れてしまった」立場の人間にどういう10年があったか、語られた文章は少ない。それが時間に埋没する前に書き残してくれたことに価値があると感じられる一作。 

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000353698